茶道の世界で
○ 茶碗があります。 不完全な いびつな形。
織部茶碗とか 茶道の茶碗 本来利休が 韓国李朝の 粗末な かわら茶碗 雑器 それを日本人のまなざしで土くれた存在の本質をみたてた。
そして 素晴らしい茶器として かわら茶碗が そのまま甦ります。
○ 茶室の わらの見える 粗(荒)壁も同じく 存在の本質をみたてた。
○ 竹組みの見える 下地窓もおなじく 存在の本質をみたてた。
日本人のまなざしは, 茶器など道具の用途・様式を超え, 物のもつ存在の奥にある本質を見る目があります。 それが「見立て」であります。
西洋人や中国人は 形の完璧なもの ピカピカ光った 完全な形の器などが好まれる。マイセンや青磁・白磁などが好まれる。 それはそれで素晴らしいのですが。日本人は その どちらも理解できるのです。
○ 西洋の「剣」は あくまでも(つく・きる・たたく)ものとして 道具用途を 超えない。
日本刀は道具としての用途を超え そのもののもつ美を求める。 スピリッユアルな日本人は形や物を超え、雑念や迷いを断ち切るところまで昇華する。日本の鎧も 又同じであります。